日本の菓子の歴史と
街のお菓子屋さんの物語
四季の恵みと職人の技が育んだ、日本の甘味文化をご紹介します。
日本の菓子の歴史:四季の恵みと職人の技
日本の菓子の歴史は古く、その時代時代の文化や人々の暮らしと共に進化してきました。お米や豆を使ったものから、美しい芸術品のようなものまで、多様な発展を遂げています。
- 奈良時代:唐(当時の中国)から様々な「唐菓子(からくだもの)」が伝来しました。これらは米や麦、豆の粉を練って揚げたり焼いたりしたもので、日本の菓子の原型の一つと言われています。
- 平安時代:もち米やうるち米を使った餅(もち)や団子(だんご)が登場し、庶民にも親しまれるようになりました。
- 鎌倉~室町時代:茶の湯文化(茶道)が発展するとともに、お茶請けとしての菓子も進化を遂げます。この頃から、餡(あん:豆を甘く煮詰めたペースト)を使った饅頭(まんじゅう)などが作られるようになり、より洗練された形や味わいが追求されました。
- 江戸時代:和菓子文化が大きく花開いた時代です。全国各地でその土地の特産品を活かした多様な和菓子が生まれ、見た目の美しさや季節感が非常に重視されるようになりました。職人たちは技を競い合い、現在に伝わる多くの和菓子の技術や意匠(デザイン)がこの時代に確立されました。季節や行事を映す芸術品のような「練り切り(ねりきり)」などがその代表です。
- 明治~昭和時代:西洋文化の影響で、砂糖やバター、牛乳といった材料が普及し始めると、庶民向けの饅頭やどら焼き(パンケーキのような生地であんを挟んだ菓子)が広く食べられるようになりました。昭和に入ると冷蔵技術が発達し、バターやクリームが手に入りやすくなり、ケーキやシュークリームなどの洋菓子も日本の町に浸透。多くの「まちのお菓子屋さん」が和菓子と洋菓子の両方を作るようになりました。
このようにして日本の町には、職人が工夫を凝らした「まちのお菓子屋」が生まれ、人々の暮らしに彩りを添えてきました。お祭りのためのお餅、子供の誕生日ケーキ、おじいちゃんおばあちゃんへの手土産――。お菓子は、人と人の心をつなぎ、大切な節目を祝う文化の中で、重要な役割を担ってきたのです。
街の菓子屋:地域に愛され、文化を繋ぐ存在
日本では古くから、街の菓子屋(「町のお菓子屋さん」)は、地域の人々の生活に深く根付いてきました。単に菓子を売る場所ではなく、地域の文化や伝統を伝え、人々の心を繋ぐ大切な役割も担っています。
- 日常のおやつとして:仕事や勉強の合間のほっと一息つく時間に、子供たちのおやつに。
- お祝い事や季節の行事に:お正月のお餅、ひな祭りの桜餅、子供の日の柏餅、お月見の団子など、季節ごとの行事に合わせたお菓子で、節目を祝います。誕生日や記念日には特別なケーキも欠かせません。
- 大切な人への贈り物として:感謝の気持ちを伝える手土産や、お中元・お歳暮といった季節の挨拶にも、お菓子はよく選ばれます。
街の菓子屋は、伝統の味を守りながらも、新しい素材や技術を取り入れ、時代に合わせた菓子作りを続けています。「菓房処 京家」もまた、そんな「街の菓子屋」としての誇りを持ち、新潟県加茂市で地域の人々に愛され、共に歩んできました。次のページでは、京家について詳しくご紹介します。